資格

資格を一つ、取った。

人生で初めての資格。

興味のある分野の民間資格で、そんなに難易度の高いものではないが、純粋に嬉しかった。

子どもには「勉強しなさい」と言いつつ、私自身、家事とパートに追われ、本の一冊も読めない状況に、言い訳ばかりしている現状に納得のいかなさを感じていた。

パートも、近距離ということと時間の融通がきくという理由だけでやっていて、好きでやっている仕事ではない割に、体力的にヘビーで、やり甲斐が感じられない。

にもかかわらず、社員に誘われたりもしていて、正直、気持ち的にも辛い。

子供の手が離れるまで、もう少し。

次女がせめて、小学3年生になるまでは・・・と思って頑張っているが、私の年齢的にも、もうすぐ40歳の大台に乗るので、正社員の道を目指すには、ギリギリの時期。

生涯続けられるやりがいのある仕事を見つけるべく、密かに資格などとってみた。

でも、スペシャリストとしてやっていくには、いま一歩。

もう一段階、高い資格を取らなければと思っている。

誘惑に負けず、頑張るぞ!

 

 

小言を言ってしまう

今朝、長男についに爆発。
水筒を入れようとしたら、学校に忘れて来たと言う。
仕方なく、妹の使わなくなった赤い水筒を貸したら、ベッドの中に置き忘れていく。
せっかくアイロンをかけてあげた制服のカッターシャツを、無造作にベッドに置いていたため、くしゃくしゃになり、またかけ直す羽目になる。
6時40分に家を出なくてはならないのに、6時20分に起きてくる。
弁当と水筒をつめ、着替えて食事をしたら、歯を磨く暇もなくバタバタと家を出る。
今日は、ベルトもせずに制服のズボンを履いて出ようとしたので、慌てて止めた。
そんなことが続くなら、早く起きれば良いのに
、何度促しても、治らない。
本当に頭に血が上る。
実母が感情的に怒る人だったので、それはやめようと思っているのに、顔を見ればイライラが募り、小言を言わずにはいられない。
言ってはいけないことを言いそうになる。
どうしたものか?
夫は、放っておけと言う。
本人が困れば、自然と振るまいも変わって来るはずだからと。
確かに、自分が中学生だった頃、親に正論を言われる程、腹が立っていた。
頭では、どうすればベストなのかわかっているのに、出来ないことが歯痒いのだ。
それなのに、追い撃ちをかけられるのが嫌だった。
親になると、すっかりそんなことは忘れて、同じように感情的に子供に小言を言っている私がいる。
そんな親のために、勉強しようと思うだろうか?
部活で結果を出そうと思うだろうか?
時間を守り、模範的な生活をしようと思うだろうか?
私が子どもに望むのは、自らが、自らを律して、自尊心を持った子どもになってくれること。
そうすれば自然と、人にも優しくなれるだろうし、幸せな人生になると思う。
そのために必要なことは、小言を言うことより、信じて見守り、時に、アドバイスとして正しいことを提案してみる。
それを受け入れるか受け入れないか、またそのタイミングは、子ども自身に決めさせ、選ばせる。
そのくらいの余裕を持つことが大事なのだと思う。
幸い、義母は、感情型の実母と違い、提案型の母親だ。
おかげで、夫は、自尊心が高く、不平不満をあまり言わない。
そんな風に育ってほしいから、今日から私は、提案型の母親になろうと思う。
もうすぐ長男が部活から帰宅する。
イライラを発症しませんように!

母との確執

ずっと違和感を感じていた。
子どもの頃から。
母について。
愛されて、安心したことがないような気がしていた。
うちの実家は自宅を使った自営業で、家がいつも騒々しく、母は時間がなく、父は仕事と趣味に意識が向いていたので、子供が中心ではなかった。親から丁寧な子育てをしてもらえた記憶はない。
そのかわり、塾や家庭教師、習い事は沢山させてくれたが、勉強にも習い事も身が入らず、何もかも中途半端。思うように結果が出せなかった。
親が勉強を見てくれたこともなければ、読み聞かせをしてくれたこともなく、後ろ姿ばかり見てきたからではないかと、私は思っている。
母にしてみれば、出来ることは精一杯やったのに、批判されるのは心外だと思っているのだろう。
私も、批判するつもりはないが、売り言葉に買い言葉でつい、ひねくれた屁理屈を言ってしまう。
そのせいで、結婚して家庭を持った今も、度々衝突してしまう。
私は、幼い頃の反動のように、子育てをしはじめてから子煩悩な母になり、子供中心の家庭を築いた。
おかげで、子供は、三人とも早くから活字の本が読めるようになったし、勉強面も苦労しないし、水泳やピアノ、部活も上達が早く練習熱心だ。
ただ、母がしてくれたように、服を沢山買い与えたり、塾やお金のかかる習い事は、させてあげられないけど。
先日、愛犬のお見舞いで帰省した際に、母がお客さんの前で、こう言った。
「この人は、金はないけど時間ばっかりあって、私とは真逆なんだよ〜可哀想でしょう。」とあざ笑った。
お金はあるけど時間のない自分とは大違いだと言いたかったのだろう。
カチンときたが、その場の雰囲気を壊してはいけないと思い、「だったら、私にお母さんがお金をくれれば、ちょうど良いんじゃない?」と笑って自虐ネタにしたが、なんだか疲れた。
幼い頃からずっと、本心を隠して道化を演じなければならなかった。
お客さんを喜ばせる為に、売りたくもないプライベートを切り売りさせられた。
泣きたくても、拗ねたくても、乗り気じゃなくても、馬鹿にされても、笑顔を作って、歌って、ジョークを飛ばしてきた。
それが、私の子ども時代を奪って、早く大人にさせてしまったのだと思っている。
我が子には、そんな思いを絶対にさせたくないので、私は、仕事をセーブして家庭中心にしている。
それなのに、時間があってもお金がないかわいそうな人…というレッテルを貼りたがる母親に、ガッカリする。
どうして認めてくれないのだろう?
「私が上で、あなたが下」
いつも、それを植え付けてくる。
そんなに、娘に負けたくないのだろうか…劣等感の裏返しなのだろうか…
何故、娘にそんなことを言わなくちゃいけないのだろう?
私には、理解ができない。

そんな母が、先ほど電話口で言った。
「愛犬が、もう2週間も食べてない。ガリガリに痩せて、横になって涙を流している。可哀想でたまらない。お父さんの病床での姿そっくりで、悲しくて見ていられない。」と。
そして、娘に代わったら、「愛犬が、あなたに会いたがってる。もうすぐおじいちゃんが迎えに来そう。あなたに会うまで死ねないと頑張ってる。」と言ったそうだ。
なかなかスケジュールが合わず、みんなで会いに行けないからと、長男が代表で会いに行き、それでも足りないからと、平日の昼間に、パートを休んで私が会いに行ったにもかかわらず、娘にまでも情に訴えてくるとは。
しかし、娘もさるもの。
「おばあちゃん、会いに来て欲しいなら欲しいって、どうしてハッキリ言わないのだろうね?」と。
そして、娘2人とも、おばあちゃんのうちに連れてって…とは言わなかった。
これが事実。
子どもは、真に愛のある人と、そうでない人を見分けるのだと思う。

愛犬と母

f:id:toricolore:20180705095846j:plain実家の愛犬が弱ってから、長男に続き、私も一人で見舞いに行ってきた。
電車と高速バスを乗り継いで、長男と同じコースで、同じ本を持って行ったのに、長男は、一冊読破…私は、半分しか読めなかった。
身長ももうすぐ追い抜かれるし、速読も…、息子の成長をうれしく思わなくてはと思いつつも、自分の至らなさを見せつけられているようで、最近、複雑な気持ち。
そんな中、実家に行ってきたのだが…
そもそも、私は、実母と馬が合わない。
実母は短気ですぐ切れ、言葉で人を傷つける。
三ヶ月前、帰省した時も、私が子供に読書をさせるために環境を整えていると言うと、「またその話!うちが本を読める環境じゃなかったとでも言いたいの?あんたが勉強出来なかったのは、環境のせいじゃない!私はこんなにしてやったのに、本も読まないし、勉強もしない、東京にも行かせてやったのに、本当は行きたくなかったとか、死んだお父さんは、死ぬまでそのことを悔やみながら亡くなった!大成しなかったのは、自分が才能がなかっただけだろうが!何でも人のせいにするな!」と怒鳴って、物を投げてきた。それ以来、2度と実家に帰らないと思っていたが、ここ最近、ラインに、愛犬の弱っている様子と、先が長くない…いつ亡くなるかわからない…と打ってくるので、愛犬に一目会っておこうと思い、一度だけという気持ちで会いに行ってきた。
愛犬は、尿毒症の毒が脳に回りはじめていて、私が行ったら、うーっと唸って、噛み付こうとしたが、しばらく話しかけていると思い出したようで、私に気を許してきた。
自宅で作って持参した塩鶏を少しちぎると、食べてくれた。
母曰く、好物のローストビーフやアイスクリームも食べないと言っていたのに、塩鶏は食べた。
痩せていたが、まだ声は出ていたし、動くことも出来ていた。
疲れやすく、横になる時間も長くなっていたが、会えてよかった。

おかしなあだ名

一昨日、息子が、学校の部活内で、1人の子をおかしなあだ名で呼んだらしく、担任が家庭訪問に来た。

主犯格は別の子で、暴力や暴言、嫌がらせもあったらしいが、息子はそれには全く関与しておらず、ただ、周りに流されてあだ名で呼んだ位だったらしい。

しかも、いじめアンケートで密告されたいじめ目撃談の加害者の中に、息子の名前は入っておらず、「そのあだ名で呼んだことがある奴、手を挙げろ」と顧問に言われて、自主的に挙手しただけのこと。

他にも居たらしいが、素直に挙手したのが息子含む5人だけだったらしい。

学年主任含む、10人あまりの教員に囲まれて、2時間近く説教を受け、家庭訪問にまでなり、次回の保護者会の議題にも挙げられるという大事になった。

素直に挙手したことについては、息子を褒めた。

最も価値のあることは、おかしなあだ名で呼ばずに呼んだ人を注意すること、次に価値があるのは、おかしなあだ名で呼ばないこと、その次が、あだ名で呼んだことを認めて謝罪すること、最も悪いのは、あだ名で呼んでおいて、認めず謝罪もしないこと。

そう悟した。

息子は、学習面で成績もそれなりに良く、学級委員もしており、部活では、ある種目で学年トップで、顧問から、県大会、全国大会にも推薦されている、文武両道の頑張り屋だ。

だからこそ、その頑張りを、小さなことで無駄にして欲しく無いのだ。

何も知らない第三者から見れば、いじめの加害者グループの1人として、色眼鏡で見られるだろうし、そうなれば、頑張って結果を出しても、そういう目でしか見てもらえず、実力が正当に評価されないかもしれない。

そんなことが続けば、本人もやる気を無くすことだろう。

親としては、その方が心配だ。

下らないことで、人生を棒に振って欲しく無い。

子どもには、学ぶ楽しさ、努力の素晴らしさ、人と協調することの大切さを身をもって教えてきたのだから、きっと、大丈夫だと思う。

小さな波で揺れないように、頑丈な船を作るぞ・・・と心に誓った。

 

 

 

 

 

天使のメッセージ

今朝、ピヨピヨという、とても愛らしく綺麗な鳥の鳴き声で目が覚めた。
ふと、ベランダを見たら、野鳥が一羽。

思えば最近、そのようなことが一月以内に二度ほどあった。

「ここにいるよ。あなたが今日も幸せでありますように。」
まるでそう告げているかのような、鳥の声。

「最近、通学路や駐車場で羽をよく見かける。」と長女からもよく聞くようになった。

何らかのスピリチュアルメッセージなのだろうかと考えた。
 
思い当たるのは、実家の愛犬アンジーのこと。
16歳になる愛犬は、心臓病を患っていたが、最近、腹部の腫瘍を繰り返し、手術を2度行ったが、術後の経過が悪く、腎臓や肝臓を患い、食べなくなってから、二週間ほど経っている。
一昨日、我が家を代表して、長男が愛犬の見舞いに実家に出向いた。

中学一年生の長男は、自分から、見舞いに行くと言ってくれた。愛犬の死というものに向き合うことで、命の尊さを感じるには良い時期だと思い、一人で電車とバスを乗り継がせて行かせた。
長男を見ると、いつも駆け寄って元気に吠えていたアンジーだったが、顎の筋肉が弱って、吠えることも出来ず、動くことも出来なくなっていたとのこと。
悲しいが、これも現実。
それ以来、食欲が落ちている長男。
朝練前に食べるときついからと、朝食をあまり食べなくなった。
多感な時期だけに、対応の仕方に気を遣う。

鳥の声に話は戻るが、声の出なくなった愛犬と、美しい野鳥のさえずりが、どうしてもリンクしてしまう。
愛犬が、鳥になって窓辺にさえずりに来てくれたんではないか…鳥になって羽ばたいて、羽をプレゼントしていってくれたのではないかと考えずにはいられない。
子供が好きで、人が好きで、よく懐いてくれた愛犬…動けなくなっても、鳴けなくなっても、形を変えて守ってくれている気がしてならない。

その愛犬の名前は

ANGE〜仏語で天使〜

なのだから。。

ぽつん

今日は、土曜授業。
五年生の長女と一年生の次女が、一緒に帰宅。
長女は、お昼を食べたらすぐ、「遊びに行ってくるねー!」と、お友達を誘いに行ってしまった。
ひとりぼっちになった次女。
ビーズクッションの下敷きになっている。
こうすると、落ち着くらしい。
f:id:toricolore:20180623152926j:plain
その姿を見て、数年前のことを思い出した。
旧ブログのこの記事↓
https://ameblo.jp/yuukichi1978/entry-11264557717.html
兄が小学生になり、ひとり置いて行かれて寂しそうな長女が印象的だったが、今では、長女が次女を置いて行くという残酷な現実。
「ママー、ひまー。何したらいい?」と尋ねる次女に、LEGOを一式広げてあげると、何やら作りはじめた模様。
f:id:toricolore:20180623153419j:plain
「出来たー!」と見せてくれたのは、こちら
       ↓
f:id:toricolore:20180624181701j:plain
二階建ての家。
入口の階段を上ると、ロボットがセンサーで反応して「お座り下さい」と言うので、座ると、階段が電動で上がり、二階に運んでくれるという仕組みらしい。
現代っ子の考える家は、また、ハイテクだこと(^^*)
次世代の家は、こんな風になるのかなぁーなんて、想像が膨らむ。