おかしなあだ名

一昨日、息子が、学校の部活内で、1人の子をおかしなあだ名で呼んだらしく、担任が家庭訪問に来た。

主犯格は別の子で、暴力や暴言、嫌がらせもあったらしいが、息子はそれには全く関与しておらず、ただ、周りに流されてあだ名で呼んだ位だったらしい。

しかも、いじめアンケートで密告されたいじめ目撃談の加害者の中に、息子の名前は入っておらず、「そのあだ名で呼んだことがある奴、手を挙げろ」と顧問に言われて、自主的に挙手しただけのこと。

他にも居たらしいが、素直に挙手したのが息子含む5人だけだったらしい。

学年主任含む、10人あまりの教員に囲まれて、2時間近く説教を受け、家庭訪問にまでなり、次回の保護者会の議題にも挙げられるという大事になった。

素直に挙手したことについては、息子を褒めた。

最も価値のあることは、おかしなあだ名で呼ばずに呼んだ人を注意すること、次に価値があるのは、おかしなあだ名で呼ばないこと、その次が、あだ名で呼んだことを認めて謝罪すること、最も悪いのは、あだ名で呼んでおいて、認めず謝罪もしないこと。

そう悟した。

息子は、学習面で成績もそれなりに良く、学級委員もしており、部活では、ある種目で学年トップで、顧問から、県大会、全国大会にも推薦されている、文武両道の頑張り屋だ。

だからこそ、その頑張りを、小さなことで無駄にして欲しく無いのだ。

何も知らない第三者から見れば、いじめの加害者グループの1人として、色眼鏡で見られるだろうし、そうなれば、頑張って結果を出しても、そういう目でしか見てもらえず、実力が正当に評価されないかもしれない。

そんなことが続けば、本人もやる気を無くすことだろう。

親としては、その方が心配だ。

下らないことで、人生を棒に振って欲しく無い。

子どもには、学ぶ楽しさ、努力の素晴らしさ、人と協調することの大切さを身をもって教えてきたのだから、きっと、大丈夫だと思う。

小さな波で揺れないように、頑丈な船を作るぞ・・・と心に誓った。