母との確執

ずっと違和感を感じていた。
子どもの頃から。
母について。
愛されて、安心したことがないような気がしていた。
うちの実家は自宅を使った自営業で、家がいつも騒々しく、母は時間がなく、父は仕事と趣味に意識が向いていたので、子供が中心ではなかった。親から丁寧な子育てをしてもらえた記憶はない。
そのかわり、塾や家庭教師、習い事は沢山させてくれたが、勉強にも習い事も身が入らず、何もかも中途半端。思うように結果が出せなかった。
親が勉強を見てくれたこともなければ、読み聞かせをしてくれたこともなく、後ろ姿ばかり見てきたからではないかと、私は思っている。
母にしてみれば、出来ることは精一杯やったのに、批判されるのは心外だと思っているのだろう。
私も、批判するつもりはないが、売り言葉に買い言葉でつい、ひねくれた屁理屈を言ってしまう。
そのせいで、結婚して家庭を持った今も、度々衝突してしまう。
私は、幼い頃の反動のように、子育てをしはじめてから子煩悩な母になり、子供中心の家庭を築いた。
おかげで、子供は、三人とも早くから活字の本が読めるようになったし、勉強面も苦労しないし、水泳やピアノ、部活も上達が早く練習熱心だ。
ただ、母がしてくれたように、服を沢山買い与えたり、塾やお金のかかる習い事は、させてあげられないけど。
先日、愛犬のお見舞いで帰省した際に、母がお客さんの前で、こう言った。
「この人は、金はないけど時間ばっかりあって、私とは真逆なんだよ〜可哀想でしょう。」とあざ笑った。
お金はあるけど時間のない自分とは大違いだと言いたかったのだろう。
カチンときたが、その場の雰囲気を壊してはいけないと思い、「だったら、私にお母さんがお金をくれれば、ちょうど良いんじゃない?」と笑って自虐ネタにしたが、なんだか疲れた。
幼い頃からずっと、本心を隠して道化を演じなければならなかった。
お客さんを喜ばせる為に、売りたくもないプライベートを切り売りさせられた。
泣きたくても、拗ねたくても、乗り気じゃなくても、馬鹿にされても、笑顔を作って、歌って、ジョークを飛ばしてきた。
それが、私の子ども時代を奪って、早く大人にさせてしまったのだと思っている。
我が子には、そんな思いを絶対にさせたくないので、私は、仕事をセーブして家庭中心にしている。
それなのに、時間があってもお金がないかわいそうな人…というレッテルを貼りたがる母親に、ガッカリする。
どうして認めてくれないのだろう?
「私が上で、あなたが下」
いつも、それを植え付けてくる。
そんなに、娘に負けたくないのだろうか…劣等感の裏返しなのだろうか…
何故、娘にそんなことを言わなくちゃいけないのだろう?
私には、理解ができない。

そんな母が、先ほど電話口で言った。
「愛犬が、もう2週間も食べてない。ガリガリに痩せて、横になって涙を流している。可哀想でたまらない。お父さんの病床での姿そっくりで、悲しくて見ていられない。」と。
そして、娘に代わったら、「愛犬が、あなたに会いたがってる。もうすぐおじいちゃんが迎えに来そう。あなたに会うまで死ねないと頑張ってる。」と言ったそうだ。
なかなかスケジュールが合わず、みんなで会いに行けないからと、長男が代表で会いに行き、それでも足りないからと、平日の昼間に、パートを休んで私が会いに行ったにもかかわらず、娘にまでも情に訴えてくるとは。
しかし、娘もさるもの。
「おばあちゃん、会いに来て欲しいなら欲しいって、どうしてハッキリ言わないのだろうね?」と。
そして、娘2人とも、おばあちゃんのうちに連れてって…とは言わなかった。
これが事実。
子どもは、真に愛のある人と、そうでない人を見分けるのだと思う。